私の大学の同級生、谷口真君がなくなって、もうすぐ1年になります。昨年の10月、通勤の途中に、メールで訃報に接し、あまりに突然のことに呆然としてしまったことを憶えています。コロナ禍のため、葬儀にも出席できず、いまでも気持ちが整理できていません。彼が亡くなったことがまだ信じられないような気持ちです。

谷口君は、都立神経病院の部長として、多くの脊髄・脊椎疾患の手術を手がけ、脳神経外科の脊髄手術において、日本のリーダー的存在でした。彼と私は大学も同期で、脳神経外科に入ったのも同じ。初めて知り合ったのは、もう40年近く前になります。

谷口君の思い出は、数多くありますが、なんと行っても、医学部を卒業して東大病院で研修医として一緒に働いた半年間のことを、忘れることができません。当時、私と谷口君、そして今群馬大学脳神経外科教授の好本君の3人が、脳神経外科の研修を一緒に受けることになりました。脳神経外科の研修というのは、当時は、ほとんど家に帰ることができず、病院に泊まり込みの状態でした。ですので、僕たち3人は、文字どおり、病院で半年間寝食をともにしました。脳神経外科病棟に当直室があり、そこの2段ベッドで一緒に寝ていたのを思い出します。寝ていた、といっても、4時間も寝られれば良い方だったと記憶していますが。

僕たち3人は、いつも一緒に協力していましたね。誰かの患者が急変すれば、いつも3人で一緒に対応していました。患者さんのベッドを、夜中に、東大病院の暗い廊下を押して、年代もののCTスキャンまで運び、緊急のCTスキャンをよくやりましたね。ときどき、CTスキャンのガントリーが動かなくなって、検査室に入って、手で回しましたね。今では信じられないようなことですが、君と、苦労しながら患者さんの診療をした日々が、いまでも、僕の記憶に焼き付いています。

同級生とはいえ、一緒に働いていると、ライバル心が芽生えます。君はとても優秀だったので、僕は、いつも君に追いつこうとしていました。でも、憶えていますか?僕たちは、いつも自分達が買った教科書を3人で共有していましたね。こっそり隠れて勉強して人を出し抜こうとするよりは、すべてを共有して、正々堂々と競争したほうが、お互い、よりよくなれると信じていたと思います。

研修の終わりになって、次の研修先を、3人でくじで決めましたね。僕が三井記念病院、好本君が警察病院、そして君が神経病院だったと記憶しています。今から考えると、このくじが、その後の3人の人生に大きな影響を与えましたね。君は、そのまま、若いうちから、脊椎手術の専門家として頭角を表していき、ぼくはずいぶんと回り道をしましたが、結局、脊椎手術を専門にすることになり、再び、君と交流することになりました。

僕たちが生活していた、東大病院のカンファランスルームの机の上のラジカセから、君が買ったムスタキのカセットが、いつも流れていましたね。あの音楽が、僕たちのバックグランドミューシックみたいだったけれど、君は、ムスタキが好きだったんだろうか、それとも、たまたま、何かのはずみであのカセットを買ったのだろうか?一度、君に聞こう、聞こうと思っていたのに、もう聞くことができなくなってしまったんですね。もっといろいろなことを教えてもらいたかったのに、もうそれもできないのですね。ただただ、冥福を祈ります。